2012年8月21日火曜日

tokitoriでわかるソーシャルのしくみ Free2Play/Pay2Win編


Free2Playを愛し、FreeSexを拒むtokitori


Free 2 Play(ロハで遊ぶ)は素晴らしい発明だった、マネタイジングに絞ってだけ言っても、リテールパッケージの定価は高すぎるというプレイヤーの導入障壁を取り除く事ができ、定価50ドルは支払えないが、5ドルなら払えるというタイプの層から料金を徴収できる。またその一方でゲームなんて定価でも1日バイトすりゃ高校生でも買えるでしょーなんて言っちゃうリッチな国にお住みの方々向けには、それこそ青天井で月300ドルとかの現金投入ができるという仕組みである。

実の所リテール定価販売は潜在的な損失が多い。経済的な問題、各々の価値観により50ドルを払えないけど、「5ドルなら…」という細いユーザーを拾えないだけでなく、金払いの良い、毎月ゲーム趣味に200ドル余裕で突っ込むリッチな連中からも、50ドルしか頂けないのである、そいつの月のゲーム用200ドルは差し引き、150ドルが別の用途で消費されてしまう、本来なら徴収できたかもしれないのに!

定価以上の金額でリテールパッケージを購入する消費者の鑑


かといって、明け透けな所得格差及び通貨レートリージョンを適用し東側10ドル、西側50ドル、日本は100ドルというような定価を設定すれば、金持ちは「損した!」と、厚顔無恥にわめき散らす。彼らの上乗せした金額に対し、何も"プレミアム"を用意しなかった売り手にも問題はあるのだが、彼らはお金持ちではある割に、想像力は大変貧しい感じなので仕方がないのだ。まぁその為のDLC、あとその為のプレミアムデラックスエディションって手はあるのだが、ここでは言及しない。


金をいくら払おうが、スカンジナビアの伝統に従い商業主義に反旗を翻して割っちまおうが、ゲームを起動さえしちまえば、そこから先は誰しもが平等であったかつてのサイバースペースは、F2Pモデルによって打ち砕かれた。初期のF2Pモデルは、現金投入による単純なブーストを用意した。無課金の貧乏人は"贄"となり、資本家たる課金者に弄ばれ、ケチョンケチョンにされた。初期F2Pにおける無課金者は地べたを這いずる畜生であり、資本家達の優雅な狩りの為の鹿になる事だけが彼らの役割であった。

課金装備に身を固めた強者に弄ばれる無課金弱者tokitori


これが俗に言うPay 2 Win(金を払って勝つ)である。畜生を脱する方法はただ一つ、金を払う事。なんてシンプル、グズをやめたきゃ金払え。しかし、この社会構造には大きな問題があったのだ。運営として優遇すべきは金払いの良い、資本家ユーザーであり、更にその頂点たる青天井ブーストで毎月数百、千ドルぶっこむようなブルジョワなのだが、残念、ここはビデオゲーム民主主義国家だったのである、圧倒的な数を誇る無課金プロレタリアートは、金の力を誇示するブルジョワを引きずりおろせ!と、決起し小額アイテムのチリマウンテンをツルハシで叩き割り始めた。現金の力を下げろ!平等なバランスをもたらせ!「現金を支払ったんだからその分、彼らを強くして当たり前なんや!」でやっていた、第一次F2P時代は無数の無課金者達の反発によって瓦解した、革命である、F2P社会主義の波が押し寄せたのだ。

資本家を打倒し民衆に自由をもたらす女神tokitori



ここから各社が学んだのは、社会がピラミッド状である以上、声のでかい大量の貧乏人と、頂点のブルジョワを、対立させてはならないということである、F2Pネットゲームの箱庭を間違っても蟹工船にしてはいけないのだ。じゃあどうすればいいか、頭を捻って考えた、じゃあ小額ブーストを弱めましょう、月の支払い料金に制限をかけましょう、みんな平等、無課金者も時間をかければ勝てます…愚か者の考えである、共産主義がこの21世紀にどうなったか。



そこで考え出されたのがシンジケート方式である、そこにあるのはまさに完璧な社会であった、資本家と貧乏人が同じフィールドで戦っていたかつてのF2Pネットゲームこそ考えてみればおかしかったのだ。シンジケート方式では課金者はギルドの盟主や、ギャングのボスとなり組織を束ねる為に現金を投入する、具体的なモデルケースを挙げれば、組織の最大メンバー数を増やすのに現金、組織内のプレイヤー全員をブーストさせるアイテムに現金、と言った感じ。一方でかつて革命の為に戦った高潔なる無課金戦士達は、その資本家の下についてマーセナリー、鉄砲玉として、他の組織と戦う事で報いる。


狩りを止め、ギャングを組織する課金tokitoriファミリア


現金を投入しまくった大きな組織は所属するだけで、メンバーにブーストがかかるようになっている。こうする事で、無課金の素寒貧は手前の労働力をウリにして出来るだけ大きな組織に入ろうと考える。無論現金投入がされ、組織が巨大になるほどそれに比例して素寒貧にかかるボーナスは大きくなっていく。より多くの貧乏人を拾い、組織を巨大化すべく資本家は現金投入をブーストするのだ。また運営は意図的に組織の拡大を煽る。特に組織間の対立、競争を設けるのは最高だ、上位入賞組織には限定アイテムをプレゼント!!!戦争の始まりである。


ほなら上位にはこれやるで~言うたら、
みんな金を突っ込みまんねん(エセ関西弁)



大切なのは資本家と貧乏人が対立しないことであり、資本家の組織の下に貧乏人が属すことは問題ではなかった。それぞれの役割、ディヴィジョンを明確に分け、各々の生き方を用意する。対立するのはあくまで組織間、金を払うのに抵抗ない人間同士が対立し、各々が刺激され現金投入がブーストされる、これが理想だったのだ。実の所、完全な無課金プレイヤーが課金プレイヤーの優越感をブーストさせる為の存在であることはあまり変わりない、それでもこれだと文句はでないんだな。


もはやこれは社会の縮図である、かつて貧乏人も金持ちも平等にサーバーの中でロケットランチャーを撃ち、臓物になって交じり合っていただろう、しかし今では金の力にみな頭を垂れている。多く現金投入した者の下にたくさんの人が集まる、それは極自然で当たり前の事なのだ。これがソーシャルゲーム!!!

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